なんさんへ・5

こちらこそ、先だってはキャスを聞きにきてくださってありがとう。

私のところは大体あんな感じだね。たまに(しょっちゅう?)脱線や暴走もしてるけど(笑)

 

はて、写真が投稿できないのはどうしたことか? 私なりに調べてみるけど、PCで起きてるトラブルならお役に立てそうになくて申し訳ない。

 

「なんで、女性!」については転がしておくしかないと私も思う。女性と間違われてる当のオーラさんも皆目見当つかないもん。

前のブログで書いてくれたとおり、なんさんが個人として独自に持ってる女性・男性に対するイメージや向き合いかたが私の中にも自分なりにある。人間として生まれて人と接して生きてくれば、一人ひとりの中で「女性観」「男性観」は育つだろうし、世の中を見るときの鏡として働きもするだろう。

でも「女性(雌)」「男性(雄)」て言葉は、本来なら有性生殖する哺乳類を生物学的に分類するための名詞でしかなくて、そこに「〜っぽい」だの「〜らしい」だのオプション語尾を付けて形容詞にするのは実はむずかしいことで、それを社会通念にするのはもっとむずかしい、というか無理。

だって全員で共有できる認識や根拠がないんだもん。

それなのに長い時間が経つうちに尾鰭が付いて変容して無数の解釈を持つに至ったのが、いま巷で飛び交ってる「女性」「男性」という言葉でありイメージなんだろうなあ。なんでこんなことになっちゃったんだよう。生きづれえよう。

 

……などと、なんさんのブログを読ましてもらいながら考えとりました。

 

強制してくる人は信念が確固としてて云々について、そうは思わんぞの件。そうそう!それが言いたかった!と思わず膝を打ちました(机の角にじゃないぞ)。

 

「強制をしてくる人って、自分がユラユラしてて不安だから、信念的な何かにしがみついて、それを布教せずにいられないんのも多いんだと思うんだなぁ」

 

私だけの経験を振り返ってもほんとにおっしゃる通り。

なるほどなあ、他人に強制するだの押し付けがましいだのは自分の自信なさや不安の裏返しかあ。

それがPTA活動でもあったわけね。やれやれ。

 

「異教徒との共存」

うん、私もずーっとそれを意識して生きてきた。

極端な話、私以外の他者は全員「異教徒」なんだよ。

なんなら私が分身して二人になったとしたら、その「もう一人の私」も異教徒になる。

だって普段から「あたしゃなにしとるんだ」て思うようなことしてる自覚があるんだよ?

それを分身がしてるとこ見させられてごらん?

たぶんキレる。

 

だからね、私にとっての「異教徒との共存」は、価値観の相容れない人とどう付き合うかであり、私のなかの相容れない部分とどう付き合うかでもあるのです。

 

ツイキャスのテーマ、カラオケに行くならどんな歌歌う?は、いいと思う。

年に一回いくかいかないかの私なんでどんな話の進みになるかわかんないけど、それはそれで面白いかも。

そういやこないだのキャスでうっかり歌ってな私。ヤバい。すでに聴かれてた(笑)

それよりなんさんといちまるさんのキャスがテスト配信とは思えないクオリティで頭抱えてる。

ずいぶんハードル上げられて、私とのコラボキャスが、えー?つまんなーい、にならないか今からヒヤヒヤしてるよ。

 

あー、胃がいてえ。

 

オーラ